基礎知識

【2024年版】歴代競馬クラシック三冠レース優勝馬一覧(牡馬・牝馬)

この記事でわかること
  • クラシックレースとは
  • クラシック三冠レースの特徴
  • 2021年時点で三冠を達成した名馬一覧
  • 歴代クラシック三冠レース優勝馬一覧

競馬をしていると「競馬のクラシックレースってどのレース?」「過去の三冠馬ってどんな馬?」など気になることがありますよね?

そこで、今回は競馬クラシックレースについて、その魅力や歴代の三冠馬について解説します。

この記事を読めば競馬クラシックの魅力や競走の背景がわかりますので、ぜひ最後まで読んで学んでください。

 

クラシックレースとは

そもそもクラシックレースとは「競馬の本場であるイギリスで古くから施行されていたレース」を指します。

ちなみにイギリスにおけるクラシックレースは、下記の5レースが該当します。

  • 1809年創設の「2,000ギニー」
  • 1814年創設の「1,000ギニー」
  • 1779年創設の「オークス」
  • 1780年創設の「ダービーステークス」
  • 1776年創設の「セントレジャーステークス」

上記のレースは全て3歳馬限定という共通点があります。

 

日本競馬のクラシック三冠レースとは

日本の中央競馬でもイギリスを習って、3歳馬限定のレースを作りました。

日本中央競馬におけるクラシックレースは下記の通りです。

日本のクラシックレース
  • 皐月賞
  • 日本ダービー
  • 菊花賞
  • 桜花賞
  • オークス

競馬のクラシックレースには、日本の競馬シーズンを代表する重要なレースが含まれています。

その中で、「皐月賞」、「日本ダービー」、「菊花賞」は特に注目され、3歳牡馬が主に競り合うG1レースです。

これらのレースを同じ馬が制覇すると、「クラシック3冠」と称されます。

一般的には、クラシック3冠は牡馬限定の称号として知られていますが、実際には3つのレースの出走条件は「3歳の牡馬および牝馬限定」となっており、牝馬も出走することが可能です。

しかし、現時点で牝馬がクラシック3冠を達成した例はまだ存在しません。

特に「菊花賞」は牝馬にとっては難しい条件となっています。

なので、牝馬の場合、通常は「桜花賞」、「オークス」、「秋華賞」といった牝馬クラシック3冠を目指す傾向があります。

ちなみに、「桜花賞」「オークス」「秋華賞」は「クラシック三冠」とは呼ばれません。

これは、競馬において牝馬のクラシック3冠には「秋華賞」が含まれていないためです。

「秋華賞」は1996年に設立された比較的新しいG1レースであり、クラシックレースには含まれていません。

このレースが設立された背景には、「エリザベス女王杯」という古馬も出走できる競走が存在したため、「秋華賞」が設けられた経緯があります。

したがって、「桜花賞」と「オークス」は牝馬クラシック3冠の一部ではありますが、クラシック三冠と呼ばれるのは、通常、「皐月賞」「日本ダービー」「菊花賞」を指します。

 

クラシック三冠レースの特徴

下記のクラシック3冠の各レースは、競馬界において非常に高い格式を持つG1レースです。

  • 皐月賞
  • 日本ダービー
  • 菊花賞

これらのレースでは、その年の3歳馬たちが最高峰の競走でしのぎを削ります。

それぞれのレースの特徴を解説します。

皐月賞

「皐月賞」はクラシック3冠最初のレースで、中山競馬場芝の2,000m行われます。

スタート地点は第4コーナーを曲がってすぐにあり、スタートしてすぐにゴール前の上り坂を駆け上がります。

この坂は最後の4コーナーを回った後にも再び登りますので、皐月賞では上り坂を2回走ることになるので、2,000mを余裕を持って走れるスタミナを持つ馬でなければ最後までスピードを維持できません。

また、中山競馬場は最終直線の距離がわずか210mしかありません。

そのため、第4コーナーを回ってからスパートをかけるのではなく、第3コーナーを回ったあたりから各馬がスパートをかけ始めます。

瞬発力だけでなく、トップスピードを長く維持できる持続力も必要です。

「弥生賞ディープインパクト記念」と同じ条件で行われるレースもありますが、こちらのレースでは比較的ゆったりとしたペースが保たれます。

しかし、皐月賞では出走する馬のレベルが上がって入る分中盤から早くもハイペースの争いが始まります。

そのため、弥生賞で好成績を収めた馬が必ずしも皐月賞で成功するわけではありません。

皐月賞は「最速の3歳馬が勝つレース」と言われています。

日本ダービー

「日本ダービー」は東京競馬場で行われ、芝の距離は2,400mです。

このコースはクラシック3冠だけでなく、日本競馬界全体でも特別な位置にあり、日本ダービーを制することは最も栄誉あることとされています。

そのため、「オークス」と同時期に開催される牝馬クラシック「日本オークス」を回避し、牝馬が日本ダービーに挑戦することもあります。

過去には1937年の「ヒサトモ」、1943年の「クリフジ」、そして2007年の「ウォッカ」など、牝馬が日本ダービーを制覇した実績があります。

スタートは正面スタンド前から行われ、最初のコーナーまでの直線距離は350mあります。

このため、先行争いが激しい一方で、2,400mの長い距離に対応するため、最初のコーナーを回った後は比較的ゆったりとしたペースで進行します。

競走の展開が大きく変わるのは第3コーナーを回ったあたりで、ここで加速し始める騎手が多くいます。

第3コーナー付近は下り坂であり、ここで加速することによって、レースのペースが一気に上がります。

そして、最終コーナーを回った後に待ち構えているのが、東京競馬場を象徴する500mを超える長い直線です。

この直線でスタミナと瞬発力が試され、最も運のある馬が勝つとされています。

近年の優勝馬は3番人気以内が多く、順当な決着になることが多い競走とされています。

菊花賞

菊花賞は、芝3,000mの距離で行われる京都競馬場のレースです。

ただし、2020年から2023年までは京都競馬場が改修工事中のため、阪神競馬場で代替え開催されています。

このレースの特徴の一つは、3,000mという長い距離です。

秋に行われるため、出走馬たちは夏の間にスタミナを養うために放牧に出されることが一般的です。

特に、日本ダービーから更に600mも延長される距離を走り抜くためには、十分なスタミナが必要とされます。

スタート地点は向こう正面の第3コーナー手前にあり、スタートと同時に第3コーナーに突入し、上り坂が始まります。

その後、第3コーナーから第4コーナーにかけては下り坂を下り、平坦な第1コーナーと第2コーナーを回り、再び第3コーナー前の上り坂を登り、最終コーナーを回ってゴールに向かいます。

最初の下り坂では比較的ゆったりとしたペースで進みますが、第3コーナーの上り坂を登りきると、馬たちは急激にスピードを上げます。

このレースではスピードが上り坂でつくため、差し馬や追い込み馬は最終コーナーを回ってからスパートをかけるのではなく、第3コーナーを回った時点から前に進出し始めます。

菊花賞は3,000mを走り抜くスタミナと、他の競走馬に負けないスピードが必要なため、「最も強い3歳馬が勝つレース」と評されています。

 

2021年時点で三冠を達成した名馬一覧

クラシック3冠は、走行距離や開催競馬場が異なるため、距離適性やコース適性、展開など様々な要素に対応する必要があるため達成は至難の業と言えます。

なので、この3つのレースを同一馬が制することは、歴史的な快挙とも言えます。

そんなクラシック三冠を達成した名馬は2021年時点では以下の通りです。

クラシック三冠を達成した名馬
  • セントライト
  • シンザン
  • ミスターシービー
  • シンボリルドルフ
  • ナリタブライアン
  • ディープインパクト
  • オルフェーブル
  • コントレイル

ここでは、2021年時点でクラシック3冠を達成した馬を1頭ずつ紹介します。

セントライト

三冠馬セントライトの画像

(引用元: https://www.jra.go.jp/gallery/dendo/horse02.html)

セントライトは、クラシックレースが設立されて以降、初めてクラシック3冠を達成した馬です。

落札時の見た目はあまり良くなかったと言われていますが、実際に競走に出ると、デビュー戦で2着に3馬身差をつける圧勝を収め、関係者からも期待されるようになりました。

特に印象的なのは、日本ダービーでの勝利です。

セントライトは2着の馬となんと8馬身もの差をつけ、これは未だに日本ダービー史上最大の着差として記録されています。

主戦騎手であり、日本ダービーでも騎乗した小西喜蔵騎手は、「セントライトの日本ダービー制覇は、文字通り楽勝だった」と述べるほどでした。

セントライトは3歳時に菊花賞を含む9つの勝利を挙げましたが、菊花賞の後、3歳で現役を引退しました。

その理由は、競馬界でのレースがセントライトにとって適切でなくなったからで、当時の競馬では強い馬に対して非常に重い斤量を課すことが一般的でした。

セントライトの通算戦績は12戦9勝3敗で、これらの3敗も68キロもの斤量を背負ってのもので、現在では考えられないようなハンデを背負わされることが影響しました。

シンザン

三冠馬シンザンの画像

(引用元: https://www.jra.go.jp/gallery/dendo/horse09.html)

シンザンは、かつての競馬ファンにとって、非常に強力な馬として知られています。

シンザンはセントライト以来23年ぶりにクラシック3冠を達成しただけでなく、翌年には天皇賞秋と有馬記念にも勝利し、”5冠馬”として称えられました。

実はシンザンもセントライトと同じく、デビュー前はあまり期待されていなかった馬で、その特徴は丈夫さにあっただけでした。

しかし、デビュー前の調教を担当した調教師や、調教時に騎乗した騎手たちは、シンザンの特別なオーラを感じ、彼が名馬になる予感を抱いたと言われています。

シンザンはデビュー後に連勝を重ねましたが、当初はあまり注目を集めず、”勝てるレースに出走している”という程度でした。

しかし、西から遠征して重賞である「スプリングステークス」を制覇し、その後の「皐月賞」では1番人気に推され、期待に応えました。

ダービーと菊花賞でも圧倒的な勝利を収め、クラシック3冠を達成。

翌年の天皇賞秋と有馬記念でも優れた走りを見せ、史上初の5冠を達成しました。

シンザンはスタートが非常に得意で、レースをリードして優勝するのが彼の得意戦術でした。

また、非常に賢い馬で、レース前から興奮することなく、勝利後も静かに振る舞い、すぐに厩舎に戻る姿勢が称賛されました。

ミスターシービー

三冠馬ミスターシービーの画像

(引用元: https://www.jra.go.jp/gallery/dendo/horse13.html)

ミスターシービーは、その壮大な勝ちっぷりから今でも多くのファンに愛されている3冠馬です。

初期の段階では、父や母の系統から逃げ馬として期待されていましたが、彼は非常に気性の荒い馬で、特にスタート時のスタートが苦手でした。

そのため、彼は後方から一気に前を追いかけるスタイルを採用せざるを得ませんでした。

しかし、その末脚の切れ味は非常に抜群で、逃げ馬としてではなく、追い込み馬として調教されました。

結果的に、彼の才能は開花し、重賞競走を2連勝しました。

そして、彼は皐月賞に挑むことになりました。当時の皐月賞は非常に不良馬場であり、後ろから追い込むスタイルのミスターシービーにとっては困難な状況でした。

しかし、彼はその状況に屈せず、皐月賞を制覇しました。

次に迎えたダービーでは、彼は18番手からのスタートとなりました。

通常、ダービーでは早々に前に進出し、先頭で競走を進めるのが一般的でしたが、観客は後方からの追い込みでの勝利は期待されていませんでした。

しかし、ミスターシービーはその状況を打破し、直線で早くもトップに立ち、驚異的な勝利を収めました。

続く菊花賞では、彼は最後方からレースを進めました。

3,000mの長距離で最後方から競走をすることは前代未聞でしたが、さらに驚くべきことに、ミスターシービーは第3コーナーから一気にスピードを上げました。

この走り方は当時としてはタブーであり、多くの人が彼の成功を疑いました。

しかし、ミスターシービーはスピードを上げ続け、最終的には2着に3馬身の大差をつけて、シンザン以来19年ぶりのクラシック3冠を達成しました。

シンボリルドルフ

三冠馬シンボリルドルフの画像

(引用元: https://www.jra.go.jp/gallery/dendo/horse14.html)

それまでクラシック3冠を達成する馬は、20年以上の周期で1頭現れるというのが一般的でした。

ですが、ミスターシービーが3冠を達成した翌年に、早くも次のクラシック3冠馬が誕生しました。

その馬こそがシンボリルドルフです。

シンボリルドルフは、幼い頃から大きな期待を寄せられていた馬で、”シンボリルドルフ軍団”とも呼ばれる強力なチームが彼をトレーニングしました。

主戦騎手である岡部幸雄は、彼のデビュー戦から1,000mから1,600m、さらには2,400mの走り方を丁寧に教え込み、クラシック競走への道を着実に歩ませました。

シンボリルドルフは大きな期待に応え、スタートで速攻先頭に立つというミスターシービーとは異なる戦術で、史上初の無敗クラシック3冠を達成しました。

その後もG1レースを勝ち続け、最終的には”7冠馬”として名を刻みました。

2020年にアーモンドアイによって一部記録が破られましたが、史上初の無敗クラシック3冠と7冠という偉業は、競馬史において輝き続けることでしょう。

ナリタブライアン

三冠馬ナリタブライアンの画像

(引用元: https://www.jra.go.jp/gallery/dendo/horse24.html)

シンボリルドルフ以降、クラシック冠馬がなかなか現れない時期が続いていましたが、その中で登場したのがナリタブライアンでした。

ナリタブライアンは、半兄が菊花賞と日本ダービーで2着に善戦したビワハヤヒデという実績から、デビュー前から大きな期待を受けていました。

彼の走りは、上半身を下げ、重心を低くする鋭いスタイルで、このスタイルは早くから確立されており、後に主戦騎手となる南井克巳も最初に跨った瞬間にその特異性を感じました。

しかし、ナリタブライアンは臆病な性格で、自身の影にすら驚いてしまうほどで、本来の力を発揮できませんでした。

そこで陣営は、「シャドーロール」という鼻の上に取り付ける馬具を使用して、彼の注意力を高め、レースに集中させました。

その結果、ナリタブライアンはその才能を開花させ、壮大な末脚で皐月賞と日本ダービーを制し、2着との着差を徐々に広げていきました。

この圧巻の勝ちっぷりから、彼は「シャドーロールの怪物」という異名を得ました。

そして、菊花賞ではさらに着差を広げ、7馬身という圧倒的な差をつけて勝利し、シンボリルドルフ以来の10年ぶりのクラシック3冠を達成しました。

特筆すべきは、皐月賞と菊花賞でコースレコードを更新したことです。

4歳時には体調を崩し、思うような成績を収められないまま引退しましたが、3歳時の圧倒的な強さは今でも競馬ファンの語り草となり、3歳においては未だにナリタブライアンが史上最強の馬ではないかという声が多く聞かれます。

ディープインパクト

三冠馬ディープインパクトの画像

(引用元: https://www.jra.go.jp/gallery/dendo/horse28.html)

ディープインパクトは、競馬界でも平成を代表するアイドルホースであり、最近競馬ファンになった人でも彼の名前を知っていることでしょう。

ディープインパクトは、クラシック3冠を達成する圧倒的な強さで知られ、日本競馬界の最強馬として語られることが多いです。

しかし、彼がデビュー前はそれほど期待されていた馬ではありませんでした。

セレクトセールでの落札価格も7,000万円と、当時のサンデーサイレンス産駒としては控えめな価格でした。

ディープインパクトは他の牡馬と比べて小柄で、見た目は牝馬に近いと評されました。しかし、主戦騎手の武豊騎手は彼の特別な才能をすぐに見抜きました。

デビュー戦では圧倒的な勝利を収め、その次の若駒ステークスでも非凡なポテンシャルを示し、競馬ファンは彼がクラシック3冠を達成するだろうと確信しました。

ディープインパクトの活躍は競馬関係者だけでなく一般メディアにも大きな注目を浴び、オグリキャップを思い起こさせるほどの熱狂ぶりでした。

しかし、彼はその注目にまったく動じず、無敗でクラシック3冠を達成しました。

ディープインパクトの強さは、彼の豪快な勝ち方からも伺えます。

スタートが得意でないため、ほとんどのレースで最後方からのスタートでしたが、圧倒的なスピードでトップに立ち、他の競走馬を一気に引き離すという勝ち方でした。

そして、ディープインパクトは種牡馬としても大成功を収め、彼の産駒がG1を含む重賞レースで数多くの勝利を収めています。

オルフェーブル

三冠馬オルフェーブルの画像

(引用元: https://www.jra.go.jp/gallery/dendo/horse31.html)

ディープインパクトとオルフェーヴル、これほど異なる性格の競走馬が同じ競馬界に現れたことは興味深いものでした。

ディープインパクトは見た目通りの優等生で、非常におとなしい性格をしていました。

しかし、オルフェーヴルは「金色の暴君」という異名がつくほど気難しい馬で、その気性難は父馬であるステイゴールド譲りだったことでしょう。

厩舎にやってきた当初は、オルフェーヴルは意外におとなしい馬だったと言われています。

その穏やかな様子から、「ステイゴールドの子供なのか?」と疑問視する声も上がったほどです。

しかし、レースになると性格が一変し、デビュー戦では不安定なスタートから大きな斜行をし、ゴール後には騎手の池添謙一を振り落とすなどの暴れん坊ぶりを見せました。

この気性難から、オルフェーヴルが競走馬になることができるのか不安視されたこともあり、2歳時は折り合いに苦労してなかなか良い成績を収めることができませんでした。

皐月賞への出走も、前哨戦のスプリングステークスでの勝利がなければ実現しなかったほどでした。

しかし、皐月賞では4番人気という評価を覆し、圧倒的な走りでクラシック1冠を手にしました。このレースによってオルフェーヴルは一躍注目を浴びる存在となりました。

日本ダービーでは距離不安から人気にはなりましたが、単勝3倍という突出した人気ではありませんでした。しかし、2冠目も圧勝で手に入れました。

菊花賞でも2馬身差をつける圧勝を収め、三冠馬としては前代未聞の珍事として、また池添騎手を振り落とすという驚きの瞬間もありました。

オルフェーヴルは気性の荒さが改善されなかったものの、走ることにおいては確固たる強さを持っていた馬でした。

彼のポテンシャルは、本気で走れば日本競馬史上最強の1頭になるほど高かったことは間違いありません。

そのポテンシャルが遺憾なく発揮されたのが、2012年の阪神大賞典であり、そのレースは必見の価値があります。

コントレイル

三冠馬コントレイルの画像

(引用元: https://tospo-keiba.jp/breaking_news/3456)

コントレイルは、オルフェーヴル以来の3冠馬として、また2歳馬限定のG1競走である「ホープフルステークス」にも勝利し、無敗のままクラシック3冠を達成しました。

彼のクラシック戦績は印象的です。最初のクラシック競走である「皐月賞」では、馬場状態が悪く、内枠からのスタートという不利な条件にもかかわらず、巧みに外へ出て第4コーナーですでに先頭に立ちました。

その後、サリオスとの熾烈な争いを制し、半馬身差で皐月賞を制しました。

この勝利は、コントレイルの実力を証明するものであり、ダービーでも圧勝し、次に待つのは改修工事前の菊花賞でした。

菊花賞では、アリストテレスとの壮絶なバトルが繰り広げられました。

しかし、コントレイルはアリストテレスに先行を許さず、見事に8頭目のクラシック3冠を達成しました。

父であるディープインパクトとの「親子無敗クラシック3冠」という偉業も達成し、これは再び現れることのないであろう大記録となりました。

その後、菊花賞の後にはジャパンカップに出走し、引退を表明していた牝馬3冠達成馬アーモンドアイと、同じく無敗で牝馬3冠を達成したデアリングタクトという豪華な競走が実現しました。

このレースではアーモンドアイには及びませんでしたが、2着に入り、その強さと実力を再び示しました。

 

歴代クラシック三冠レース優勝馬一覧

皐月賞・東京優駿(日本ダービー)・菊花賞の歴代優勝馬をご紹介します。

※三冠馬は赤字で表記

皐月賞 日本ダービー 菊花賞
2024年 ジャスティンミラノ ダノンデサイル
2023年 ソールオリエンス タスティエーラ
2022年 ジオグリフ ドウデュース アスクビクターモア
2021年 エフフォーリア シャフリヤール タイトルホルダー
2020年 コントレイル コントレイル コントレイル
2019年 サートゥルナーリア ロジャーバローズ ワールドプレミア
2018年 エポカドーロ ワグネリアン フィエールマン
2017年 アルアイン レイデオロ キセキ
2016年 ディーマジェスティ マカヒキ サトノダイヤモンド
2015年 ドゥラメンテ ドゥラメンテ キタサンブラック
2014年 イスラボニータ ワンアンドオンリー トーホウジャッカル
2013年 ロゴタイプ キズナ エピファネイア
2012年 ゴールドシップ ディープブリランテ ゴールドシップ
2011年 オルフェーヴル オルフェーヴル オルフェーヴル
2010年 ヴィクトワールピサ エイシンフラッシュ ビッグウィーク
2009年 アンライバルド ロジユニヴァース スリーロールス
2008年 キャプテントゥーレ ディープスカイ オウケンブルースリ
2007年 ヴィクトリー ウオッカ アサクサキングス
2006年 メイショウサムソン メイショウサムソン ソングオブウインド
2005年 ディープインパクト ディープインパクト ディープインパクト
2004年 ダイワメジャー キングカメハメハ デルタブルース
2003年 ネオユニヴァース ネオユニヴァース ザッツザプレンティ
2002年 ノーリーズン タニノギムレット ヒシミラクル
2001年 アグネスタキオン ジャングルポケット マンハッタンカフェ
2000年 エアシャカール アグネスフライト エアシャカール
1999年 テイエムオペラオー アドマイヤベガ ナリタトップロード
1998年 セイウンスカイ スペシャルウィーク セイウンスカイ
1997年 サニーブライアン サニーブライアン マチカネフクキタル
1996年 イシノサンデー フサイチコンコルド ダンスインザダーク
1995年 ジェニュイン タヤスツヨシ マヤノトップガン
1994年 ナリタブライアン ナリタブライアン ナリタブライアン
1993年 ナリタタイシン ウイニングチケット ビワハヤヒデ
1992年 ミホノブルボン ミホノブルボン ライスシャワー
1991年 トウカイテイオー トウカイテイオー レオダーバン
1990年 ハクタイセイ アイネスフウジン メジロマックイーン
1989年 ドクタースパート ウィナーズサークル バンブービギン
1988年 ヤエノムテキ サクラチヨノオー スーパークリーク
1987年 サクラスターオー メリーナイス サクラスターオー
1986年 ダイナコスモス ダイナガリバー メジロデュレン
1985年 ミホシンザン シリウスシンボリ ミホシンザン
1984年 シンボリルドルフ シンボリルドルフ シンボリルドルフ
1983年 ミスターシービー ミスターシービー ミスターシービー
1982年 アズマハンター バンブーアトラス ホリスキー
1981年 カツトップエース カツトップエース ミナガワマンナ
1980年 ハワイアンイメージ オペックホース ノースガスト
1979年 ビンゴガルー カツラノハイセイコ ハシハーミット
1978年 ファンタスト サクラショウリ インターグシケン
1977年 ハードバージ ラッキールーラ プレストウコウ
1976年 トウショウボーイ クライムカイザー グリーングラス
1975年 カブラヤオー カブラヤオー コクサイプリンス
1974年 キタノカチドキ コーネルランサー キタノカチドキ
1973年 ハイセイコー タケホープ タケホープ
1972年 ランドプリンス ロングエース イシノヒカル
1971年 ヒカルイマイ ヒカルイマイ ニホンピロムーテー
1970年 タニノムーティエ タニノムーティエ ダテテンリュウ
1969年 ワイルドモア ダイシンボルガード アカネテンリュウ
1968年 マーチス タニノハローモア アサカオー
1967年 リユウズキ アサデンコウ ニツトエイト
1966年 ニホンピローエース テイトオー ナスノコトブキ
1965年 チトセオー キーストン ダイコーター
1964年 シンザン シンザン シンザン
1963年 メイズイ メイズイ グレートヨルカ
1962年 ヤマノオー フエアーウイン ヒロキミ
1961年 シンツバメ ハクシヨウ アズマテンラン
1960年 コダマ コダマ キタノオーザ
1959年 ウイルデイール コマツヒカリ ハククラマ
1958年 タイセイホープ ダイゴホマレ コマヒカリ
1957年 カズヨシ ヒカルメイジ ラプソデー
1956年 ヘキラク ハクチカラ キタノオー
1955年 ケゴン オートキツ メイヂヒカリ
1954年 ダイナナホウシュウ ゴールデンウエーブ ダイナナホウシユウ
1953年 ボストニアン ボストニアン ハクリョウ
1952年 クリノハナ クリノハナ セントオー
1951年 トキノミノル トキノミノル トラックオー
1950年 クモノハナ クモノハナ ハイレコード
1949年 トサミドリ タチカゼ トサミドリ
1948年 ヒデヒカリ ミハルオー ニューフォード
1947年 トキツカゼ マツミドリ ブラウニー
1944年 クリヤマト カイソウ アヅマライ
1943年 ダイエレク クリフジ クリフジ
1942年 アルバイト ミナミホマレ ハヤタケ
1941年 セントライト セントライト セントライト
1940年 ウアルドマイン イエリュウ テツザクラ
1939年 ロックパーク クモハタ マルタケ
1938年 ーーー スゲヌマ テツモン
1937年 ーーー ヒサトモ ーーー
1936年 ーーー トクマサ ーーー
1935年 ーーー ガヴァナー ーーー
1934年 ーーー フレーモア ーーー
1933年 ーーー カブトヤマ ーーー
1932年 ーーー ワカタカ ーーー

 

まとめ

今回の記事では、競馬のクラシックレースと三冠馬について解説しました。

競馬においてクラシックレースというものは特別なもので、レース前の興奮や盛り上がりは他のレースとは違ったものになります。

実際に競馬場に足を運んでみると、その特別さがより一層感じられるので、一度競馬場で観戦してみることをおすすめします。

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