- 競馬の米国三冠とは
- 米国と日本の三冠の違い
「米国三冠って何?」と疑問に思っていませんか?
日本で三冠レースというと「皐月賞」「日本ダービー」「菊花賞」の3レースに勝利することですが、米国にも三冠が存在します。
そこで、今回は競馬の米国三冠について解説します。
この記事を読めば、競馬の米国三冠の歴史や日本の三冠の条件との違いがわかるので、ぜひ最後まで読んでください。
競馬の米国三冠とは?
競馬の米国三冠とは、3つの主要競走であるケンタッキーダービー、プリークネスステークス、ベルモントステークスを3歳のサラブレッドがすべて制覇することを指します。
アメリカクラシック三冠(Triple Crown of Thoroughbred Racing)は、アメリカ合衆国のサラブレッド平地競馬の競走のうち、5月から6月にかけて開催される以下の3歳限定競走のこと、またはその全てを制覇することを指すものである。
アメリカクラシック三冠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アメリカと日本の三冠の違い
米国三冠の特徴について、ウィキペディアでは以下の通りまとめられています。
アメリカ競馬のクラシック三冠は、イギリスクラシック三冠よりも、フランス式のそれに似ている。3戦の間隔が短く、例年5月1週目の土曜に開催されるケンタッキーダービーより始まり2週後のプリークネスステークスが第2戦、その3週後のベルモントステークスが最終戦となる。また、いずれも牡馬・牝馬・せん馬の出走が可能である。ただし牝馬にはこれとは別にケンタッキーオークス、およびニューヨーク牝馬三冠(トリプルティアラ)路線が存在するため、牝馬がこの路線上に出走することはあまり多くない。
( 同上 )
上記の内容を日本の三冠と比較した時に似ている点は以下の通りです。
- 3歳馬は生涯1度しか出走できない
- 「ダービー」を冠したレースが国内最高峰の栄誉とされる
- 「三冠」馬は今も昔も高く評価される
逆に違う点は以下の通りです。
項目 | 日本 | アメリカ |
騸馬の出走権利 | 出走不可 | 出走可能 |
コース | 芝 | ダート |
ダービーの開催順 | 2戦目 | 1戦目 |
開催時期 | 4~10月 | 5~6月 |
距離の幅 | 2000~3000m | 1911~2414m |
「アメリカと日本の三冠の違いは」という視点から、特に大きな違いを見ていきましょう。
まず、決定的に異なる点は「芝」と「ダート」の違いです。
どちらもその国における主要な馬場で開催されている点は同じですが、海外競馬に初めて触れる人がまず驚くのはこの違いかもしれません。
また、日本では「日本ダービー」が三冠の2戦目として行われますが、アメリカでは「ケンタッキーダービー」が初戦となります。
さらに、日本の三冠はレースが進むごとに距離が延び、最終的には3000mの長距離レースをこなす必要があります。
一方、アメリカの三冠レースの距離は約2000m、1900m、2400mと、日本の牝馬三冠よりも距離の差が少ないのが特徴です。
加えて、開催時期にも違いがあります。
日本やイギリスでは三冠レースは春から秋にかけて約半年間続きますが、アメリカでは約1か月で三冠すべての日程が終わります。
例えば、2021年のアメリカの三冠は「5月1日 → 5月15日 → 6月5日」と、わずか5週間で行われました。
以上をまとめると、日本の感覚で最も近いのは「皐月賞 → NHKマイルカップ → 日本ダービー」の流れかもしれません。
春先の調子が良ければ達成可能な反面、レース間隔が短いため、日本の三冠馬とは求められる適性が異なることがわかります。
米国三冠レースと日本馬の挑戦
これまで米国三冠レースに挑戦した日本馬とレースについての詳細を紹介します。
ケンタッキーダービー
ケンタッキーダービー(Kentucky Derby)はアメリカクラシック三冠の第1冠として、ケンタッキー州ルイビルにあるチャーチルダウンズ競馬場で行われる競馬の競走である。
アメリカ合衆国の競馬における3歳牡馬の最大目標でアメリカの数ある競走としても最高峰のイベントとされ、ブリーダーズカップなどを凌ぐ視聴率や観客動員数を保っている。競馬界のみならずスポーツイベントとしてもアメリカ国内で非常に知名度が高いもので、競走時間から「スポーツの中で最も偉大な2分間」(The Most Exciting Two Minutes in Sports)などと形容される。また優勝馬にはバラのレイが掛けられることから、「ラン・フォー・ザ・ローゼス(Run for the roses)」の通称も持つ。
ケンタッキーダービー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上記のように絶賛されるレースも珍しいですが、ケンタッキーダービーの格式は日本ダービーを遥かに上回っているのです。
日本馬の成績
日本では、きさらぎ賞を制したスキーキャプテンがケンタッキーダービーに挑戦しましたが、14着と大敗しました。
その後、2010年代後半になると、交流重賞や中東への遠征が本格化し、日本馬の挑戦が再び始まりました。
ラニが9着、マスターフェンサーが6着と健闘し、2022年にはクラウンプライドが、2023年にはデルマソトガケがUAEダービーを制してケンタッキーダービーに挑戦しました。
また、2000年に【フサイチペガサス】がケンタッキーダービーを1番人気で制したことは、日本競馬界にとって大きな衝撃でした。
この出来事は、海外レースへの関心を一層高めるきっかけとなりました。
プリークネスステークス
プリークネスステークス(Preakness Stakes)はアメリカクラシック三冠の第2冠として、メリーランド州ボルティモアにあるピムリコ競馬場のダート1マイル3/16(9ハロン1/2・約1911メートル)で行われる競馬の競走である。
概要(抜粋)
多くの場合はケンタッキーダービーを経由してこの競走に出走してくるが三冠競走の中ではもっとも距離が短いこともあり、ケンタッキーダービーに出走しなかったマイル路線組が登録することも多い。競走の創設はケンタッキーダービーよりも2年早い1873年で、競走名は1870年にピムリコ競馬場がオープンされた時に行われたディナーパーティーステークスの優勝馬・プリークネスを記念して当時のメリーランド州知事オーデン・ボウイによって命名されたものである。
プリークネスステークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本馬が初めて挑戦した「ラニ」は、不良馬場の中で最後方から追走し、最終的に5着に入る健闘を見せました。
また、2021年にはUAEダービーで6着だった「フランスゴデイナ」が挑戦し、10頭立ての最低人気であったにもかかわらず、7着と健闘しました。
この馬は日本でいう1勝クラスの馬であることを考えると、非常に良い結果を残したと言えます。
ベルモントステークス
ベルモントステークス(Belmont Stakes)はアメリカクラシック三冠の3冠目として、ニューヨーク州にあるベルモントパーク競馬場のダート1マイル1/2(12ハロン・約2414メートル)で行われる競馬の競走である。
アメリカンジョッキークラブの初代総帥であり、第1回が開催されたジェロームパーク競馬場の創設にも関わったオーガスト・ベルモントからこの競走名が付けられた。例年6月の第1土曜日、プリークネスステークスの3週間後に行われる。
距離については何度か変更されているが、1926年から現在の12ハロンに固定され三冠競走で最長距離であり、「テスト・オブ・チャンピオン」という異名がある。大半の出走馬にとって初の長距離戦であり、セクレタリアトの31馬身差をはじめ大差で決着することも少なくない。
ベルモントステークス
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以下がベルモントステークスの年表です。
- 1871年 本馬場入場を導入。北米では初の事例。
- 1905年 開催地をベルモントパーク競馬場に変更。
- 1926年 現行の距離1マイル1/2に変更。
- 1973年 Secretariatが2分24秒0の世界レコードで優勝。
- 1990年 Go and Goが海外調教馬として唯一の優勝。【※ヨーロッパ調教馬】
- 2016年 ラニが日本調教馬として初参戦(3着)。
- 2019年 史上初の日本産馬としてマスターフェンサーが史上2頭目の参戦(5着)。
- 2020年 新型コロナウイルス感染拡大の影響で2週延期して無観客開催となり、距離も1マイル1/8に変更。
日本馬では、新馬戦を2.3秒差の大差で勝利した【カジノドライヴ】が、ピーターパンステークスを制し、ベルモントステークスへの出走を目指していましたが、大事を取って出走を取りやめました。
その後、8年ぶりに日本馬が初出走した【ラニ】は、クラシック三冠最終戦で初めて実力を発揮し、勝ち馬から約1馬身半差の3着という立派な成績を収めました。
6月11日に行われた第3戦のベルモントステークスでも前2戦と同じように最後方を追走したラニは向正面から進出を開始。直線で外から猛追したが前には届かず、惜しくも勝ち馬と約1馬身半差の3着に終わった。日本調教馬でアメリカクラシック三冠の全てに出走したのは史上初である。なお、このときのラニのアメリカ挑戦に対する日本からの注目を受け、2017年より日本国内の競走もケンタッキーダービー出走への選定レースとすることが発表された。
ラニ (競走馬)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
37年間誕生しなかった米国クラシック三冠馬
「米国クラシック三冠」を達成した13頭の名馬について紹介します。
1919年 – サーバートンが3競走を初めて制覇する。後に三冠馬として追号される。
1930年 – ギャラントフォックスが3競走を制覇、「三冠」の称号が初めて登場する。
1935年 – オマハが三冠を達成。初の親子三冠馬となる。
1937年 – ウォーアドミラルが三冠を達成。
1941年 – ワーラウェイが三冠を達成。
1943年 – カウントフリートが三冠を達成。
1946年 – アソールトが三冠を達成。
1948年 – サイテーションが三冠を達成。
1973年 – セクレタリアトが25年ぶりに三冠を達成。
1977年 – シアトルスルーが三冠を達成。アメリカ史上初の無敗での三冠。
1978年 – アファームドが三冠を達成。初の2年連続輩出。全競走とも2着はアリダー。
2015年 – アメリカンファラオが37年ぶりに(アメリカ史上最長間隔)三冠を達成。
2018年 – ジャスティファイが三冠を達成。シアトルスルー以来2頭目の無敗での達成。
日本語版ウィキペディアの「アメリカクラシック三冠」から年表部分を引用しました。
時期を見てみると、サイテーションからセクレタリアトまでが25年、アファームドからアメリカンファラオまでの間隔は37年も空いています。(日本でも昭和の時代には20年近く三冠馬が出ない期間がありました。)
2010年代後半に2頭の三冠馬が誕生しましたが、2020年代にも続けて三冠馬が誕生するのか、注目が集まっています。
まとめ
今回は競馬の米国三冠について解説しました。
海外の競馬も日本の競馬と違う点がいくつもあり、また違った面白みがあります。
海外の大きなレースはテレビやネットで放送されることがあるので、もし興味があれば見てみてください。
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